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ザ・ドリフターズ

ザ・ドリフターズ

ザ・ドリフターズ(The Drifters)は、「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」などで活躍し、一世を風靡し、国民的ミュージシャン(後にコントグループ)。イザワオフィス所属。

昭和40年代から50年代中頃をピークに大活躍し、子供からお年寄りまで幅広い層に親しまれてきた。いかりや長介が正式リーダーになった1964年のドリフ再結成以降(新生ドリフ)が周知されているが、結成は1957年。

1966年のビートルズ日本公演の前座を務めた。40秒の演奏時間ではあったが、前座用のステージが別に作られていたにもかかわらず、ドリフターズだけはビートルズと同じステージだった。
1970年「第12回日本レコード大賞大衆賞」を受賞し、同年「ドリフのズンドコ節」で「第1回日本歌謡大賞放送音楽賞」をそれぞれ受賞。(

いかりや長介は、(1931年11月1日~ 2004年3月20日、本名碇矢長一(いかりや ちょういち)。三代目リーダー。1962年にドリフのメンバーとなり、1964年より正式リーダーとなる。新生ドリフでは最古参メンバーであった。ベース担当。1999年、「踊る大捜査線 THE MOVIE」で第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞している。

加藤茶:1943年3月1日生まれ 、本名加藤英文(かとう ひでゆき)。1962年メンバー入り。1964年のドリフ再結成当初では最年少だった。いかりや没後、現行ドリフでは最も古いメンバー。ドラムとボケ担当。

高木ブー:1933年3月8日生まれ、本名高木友之助(たかぎとものすけ)。1964年新生ドリフメンバーの中では3番目にドリフ入り。自称、いかりや没後の四代目リーダー。初期ではリードギター担当。

仲本工事:1941年7月5日生まれ 、本名仲本興喜(なかもと こうき)。学習院大学卒。東京商工会議所に内定が決まっていたが、高木に誘われ内定を蹴って、1964年に荒井の次にドリフ入り。初期のドリフでは、ギターとロック系ボーカル担当。体操部で身につけた床運動(マット体操)が得意。

志村けん:1950年2月20日生まれ 、本名志村康徳(しむら やすのり)。1968年、いかりやに直々に懇願しドリフの付き人になるが1年後に脱走。その後、加藤の付き人などを経て、脱退する荒井の後釜として、1973年12月にドリフ見習いとなり、1974年4月に正式メンバーとなる。東村山音頭で一気にブレーク!

元・正メンバー荒井注:1928年7月30日 ~ 2000年2月9日、本名荒井安雄(あらい やすお)。1964年高木の次にドリフ入り。「なんだ、バカヤロー!」と「This is a pen!」といった伝説のギャグを持つ。1974年3月に「体力の限界」を理由にドリフを脱退。

すわしんじ:すわ親治は、1952年11月14日生まれ 、本名諏訪園親治(すわぞの ちかはる)。元付き人・見習い。幻のドリフ第六の男。ただし正式なメンバーではない。「奇声を上げながら走りまくったあげく、加藤のクシャミでズッコケるブルース・リー」役で印象強い。正メンバーになることなく1985年にドリフを辞める。

ちなみに、初代リーダーは岸辺清(東京ウエスタンボーイスのメンバー)。2代目リーダーは桜井輝夫で、ボーカル担当。

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コロッケ(本名:滝川広志(たきがわ ひろし)、1960年3月13日生 )は、ものまねタレント。熊本県熊本市出身。

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